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御挨拶

道俠座サイトへようこそ!

ご覧戴き有難うございます。俳諧の座「道俠座」の公式サイトです。
俳句や連句についてのコラムと、座の実作作品を展示していこうと考えています。俳諧に興味がある方も、今はまだない方も、是非その世界観と可能性に触れてみて戴ければと思います。

また、伝統的な式目と離れた作品もあるかと思いますが、諸先輩方に於かれましては、俳諧師見習いである若輩の座による新しい非懐紙文藝の方法を模索する挑戦と捉えて、温かく見守って戴ければ幸いに思います。

矢萩道俠拝

連句という方法

『日本的複眼を取り戻すために』

 今でこそ俳句という形は一般的ですが、元々俳句というのは正岡子規が連句の発句、すなわち最初の一句だけを切り出したものでした。

 正岡子規は俳諧の改革を進めた人物で、松尾芭蕉の俳諧は構成的で散文的すぎると批判し、複雑で詩情の少ない連句よりも、発句の五七五のみでシンプルに表現することで、純粋かつ高密度に洗練された「詩」になると考えました。その結果、連句のように煩雑なルールもなく、独りでも出来るお手軽な文藝として、俳句は爆発的に普及することになります。

 子規は西洋の文藝から写生的な手法を取り入れ、簡潔で視覚的な表現ほどパワーがあると言いましたが、僕はその際に連句が培ってきた複眼的視点が切り落とされてしまったと考えています。もちろん子規の方法にも一理はあります。なによりも世間に受け入れられました。しかし、安易になった分敷居が下がってしまい、子規の目指した技法によって詩としての完成度を上げるという理想に近づいたのかどうかは疑問に思います。

 簡素で視覚的な写生的表現とは、写真的な視点を意味します。確かにメインの被写体にピントが合っていた方が、伝わりやすいことは多いと思います。しかし、それはカメラだから出来ることで、果たして世の中はそういう風になっているのか、というとかなりディフォルメされています。実際の世界は数多の主体と客体が入り交じるカオスの中で奇跡的に生じた秩序の、絶妙なバランスによって成り立っています。そのことを込みで「写生」したならば、焦点を合わせる方法はいささか窮屈に感じます。

主体と客体が入り交じる、アワセとカサネとウツロヒの世界。連句文藝の真髄は、日本のそういう思想や、全ては縁起であるという仏教観から生じた、人と人とが感覚を交え、対話をしながらマクロコスモスをミクロコスモスに集約していくような方法論だったはずです。

明治という時代は、様々なものを失ってしまいました。歴史を学ぶ限りそれは必然であったようにも思います。しかし、現代に於いても失ったままであることが必然でしょうか。なんとなく閉塞感の漂う現代こそ、江戸の俳諧師のように幾つもの視点を徘徊しながら、多様性という言葉の本質に迫る、そんな希望を連句という方法に感じています。

(矢萩道俠)

夏から始まる連句十二片(2)

五吟非懐紙十二片

『刈敷のベルメール』の巻/矢萩道侠捌

1[夏]刈敷の間に横たわるベルメール   嶌田小鞠
2[夏]境界はるか梅雨の星見よ      矢萩道侠
3[雑]カセットに永久の空夢閉じ込めて  大佛批豹
4[秋]虚家の軒秋の風鈴         暈禊斬境
5[秋]満月を見上げてあかし蛸を焼き     批豹
6[雑]ノート開けばフラッシュバック     道侠
7[雑]メモリーを挿せども読まぬ地平線    批豹
8[冬]かじかんだ手で幾千度でも     池田雪道
9[雑]纏め髪練習するのは誰の為       小鞠
10[雑]ブロードウェイへ土曜日の馬車     道俠
11[春]兆し得て舞い散る花に眩みつつ     雪道
12[春]レアアース掘る潮干狩り婆       批豹

首尾/平成24年6月11日~6月29日

 

解釈『刈敷のベルメール』

この巻は、「刈敷」と「ベルメール」という非日常的な結合から立ち上がる不思議な世界観から始まります。刈敷とは、刈った草木をそのまま埋めて堆肥にすること、ベルメールは澁澤龍彦によって日本でも知名度を得たドイツの人形作家です。人為的に堆肥になってゆく土の上に横たわる球体関節人形。彼女が見た梅雨の星は、誰かの夢と重なりながらうつろいます。広がるネットワークの端々で恋をしては離れる僕らはいつか自分自身が資源となって、誰かの糧になり、束の間の欲望と無常に漂いながら拡散して行くのかも知れません。(道俠)

俳諧師・二上貴夫氏から戴いた講評

※「廃家の軒秋の風鈴」は、『芭蕉七部集』冬の日の巻「あるじはひんにたえし虚家(からいえ)」を思い出した。
※「かじかんだ手で幾千度でも」「纏め髪練習するのは誰の為」この付け合いはウエットな情が醸し出されて秀逸。

夏から始まる連句十二片(1)

五吟非懐紙十二片

『積ん読』の巻/矢萩道侠捌

1[夏]積ん読と閑かに圧され汗ル日々   暈祓斬境
2[夏]字間に追われ蝉の声染む      矢萩道俠
3[雑]反物に籠目の想ひ薫りみて       斬境
4[雑]白き手群れし経舞う岬       嶌田小鞠
5[秋]十五夜をグラスに落とす波の音     斬境
6[秋]たそかれの鳥うたかたの空     池田雪道
7[秋]きのこ狩りキルケゴオルと軍手持ち   道俠
8[雑]朝のテレビを夕方に見る        雪道
9[冬]風花を手に置きて溶けふと咲ひ     斬境
10[雑]カレー煮詰めて古里を恋ふ     大佛批豹
11[春]軍艦の舳先支える花の陰        小鞠
12[春]不況を越えて春は曙          道俠

首尾/平成24年5月30日~6月9日

 

解釈『積ん読』

道俠座初作品です。「あせる」「じかん」などの言葉遊びが、十五夜を落とすグラスで一気に閑かな郷愁に溶け込んでいきます。日常の狭間に軍艦のイメージが自然に紛れ込んでいるのが面白いですね。もはや戦争を知らない世代が回している世界で、そのヴァーチャルな軍艦は不況という仮想の敵をどう捉えて乗り越えていくのでしょうか。なんて言うとお気楽に捉えすぎでしょうか。戦争を知っている人には、どこが不況だ、と戒められるのかも知れません。キルケゴオルの哀しみを、せめて想像出来る感性を。(道俠)


道俠座とは

「俳諧は、其角に始まり其角に終わる」とまで言われた松尾芭蕉の一番弟子、江戸座No1の俳諧師宝井其角の座からスピンオフした、"超若手"グループ。
連句の方法を、生活や仕事に活かすために、遊びながら学びつつも、伝統的な視点や技術を少しでも次世代に伝えられるような、そんな座を目指します。読みは「とうきょうざ」、江戸座の現代版を目指します。

連句を始めたい方、俳句を学びたい方、また道俠座作品への感想など、御気軽にご連絡くださいませ。

道俠座連衆

矢萩道俠(やはぎとうきょう)

NPO法人其角座理事、俳諧師見習い。寺田寅彦の俳諧観に感銘を受け、二上貴夫氏に師事し芭蕉・其角の俳諧と、橋閒石の非懐紙を学ぶ。俳号の「道俠」は松岡正剛師から頂いたもの。

大佛批豹(おさらぎひひょう)
暈祓斬境(かさはらざんきょう)
嶌田小鞠(しまだこまり)
池田雪道(いけだゆきと)

目次(制作中)

コラム・連句という方法

第1回『日本的複眼を取り戻すために』

実作・道俠座作品集

非懐紙十二片

両吟
三吟
多吟

非懐紙十八片

破戒律十四片

歌仙